発掘第7弾!今は無き茨城県北の4施設

旧常陸太田市営火葬場 十王町営火葬場 高萩市営上原火葬場 北茨城市営磯原火葬場

画像引用:常陸太田市勢要覧1967、北茨城市勢要覧1956版
高萩町勢要覧1955、十王町勢要覧1967 国土交通省 空撮画像


 この”発掘シリーズ”の資料収集をしていて、管理人は「ある事」に気が付きました。
それは、過去の市勢要覧(特に昭和30年代)の中において「火葬場」が必ずしも嫌悪
施設扱いされておらず、衛生施設の1つとして堂々と写真付きで紹介されているという
事です。ところが不思議な事に、昭和40年代中頃になって火葬場という施設が一斉に
市勢要覧から姿を消してしまうのです。これは全ての自治体に言える事で、「申し合わ
せをした」ような抹殺のしかたに、正直大変な驚きを覚えました。

 火葬場=嫌悪施設という図式は意外と自治体が作り上げたものなのかも知れません。


*画像をクリックすると拡大画像が別ウィンドウで開きます。

旧常陸太田市営火葬場

画像引用:常陸太田市勢要覧1967

 

 水戸黄門が晩年を過ごした「西山荘」。
そのすぐ西の裏側にこの火葬場がありました。 重油炉2基の小規模施設ですが、
待合室が火葬棟の中にあって、正面入り口を挟んで炉前両側に座敷が設置されて
いました。おそらく会葬者はバーナーの轟音を聞きながら焼き上がりを待っていた
事でしょう。ちなみに、平成8年には現施設に建て替えられました。



画像引用:国土交通省 空撮画像

 

昭和49年の空撮画像。火葬棟左右の出っ張りが待合室部分です。




旧十王町営火葬場

画像引用:十王町勢要覧1967

 

 日立市と高萩市に挟まれた「十王町」。ここに以前、火葬場が存在
した事実を知る人は一体どれぐらいなのでしょう...石炭を使用する
火葬炉1基の小規模施設です。近くに昭和48年まで「櫛型炭坑」が
存在したので、必然的に燃料が石炭だったのでしょう。
 管理人は、子供の頃ホタルを採りに行ってこの場所に迷い込んで
しまった事があります。非常に寂しく、そして恐ろしい場所でした。



11月17日 追加画像

 

 廃止後30年を経た火葬場跡地の現況です。
この数年の間に道路が拡張されたおかげで、環境が激変しました。
奥に残る用途不明の空家が気になります。恐ろしい事に、屋根瓦の
形状や瓦の枚数、手前の植木の位置が上の火葬場画像と不思議に
一致してしまいます。ひょっとして炉体を撤去した後、建物だけを転用
したのでしょうか?近くに残存する境界杭で判断すると、建物自体は
町の所有物みたいです。

                              何か怖いですね....


 

 昭和40年の火葬場利用状況。
人口が少ないので利用数もそれなりですね。



旧高萩市営上原火葬場

画像引用:高萩町勢要覧1955

 

 この火葬場は当サイト「煙の独り言」に登場する「T市火葬場」2代前の姿です。
ここも炭坑を近くに抱える事情から石炭燃料を使用していました。
 以前祖父から聞いた話だと、この建物は昭和30年頃火災で全焼してしまったそう
です。また、母からもそれにまつわる恐ろしい話を聞いたように記憶していますが、
その後昭和46年に重油火葬炉2基のオーソドックスな施設に建替えられ、更に昭和
末期に最新型装備の斎場「高萩十王斎場」に姿を変えて現在に至っております。。




旧北茨城市営磯原火葬場

画像引用:北茨城市勢要覧1956

 

 この火葬場は、残念ながら当時存在した場所が特定できていません。
衛生部資料によると昭和31年の建設だそうですが、見た目はそれよりかなり
古そうです。ちなみにその後同じ場所かどうか不明ですが、昭和45年頃には
重油炉2基の施設に更新されており、現在その場所に北茨城市斎場が稼動中
です。場所は常磐自動車道磯原ICのすぐ隣、防音壁の裏が排気筒という絶好の
ロケーションです(笑)。



 

 昭和30年の火葬場利用状況。
資料では昭和31年建設なのに...矛盾していますね(汗)。
非常に謎の多い火葬場です。
 余談ですが、これより北の福島県境「大津港」という場所にも薪炉を持つ
火葬場が存在しました。管理人は中学の頃、その廃墟を探した事があります。
当然見つけられませんでしたけどね。


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